星野村のもう一つの星 最終回
国際証券の大分支店に転勤して間もなく、Y君がターゲットをしぼったT産業が、平成十年一月九日の日経新聞に大々的に取り上げられた。
「……九州を動かすベンチャー産業の一つであるT産業は、自社独自で開発したキノコを、宇佐の減反農家に委託栽培させて、新しい雇用を提供している……」とあった。Y君は「宇佐」を「星野」に置き換えてみた。
かつて星野村は、星野金山が隆盛をきわめた昭和二十五年頃は、一万人に近い人々で活況を呈していたが、金山がさびれるにしたがって若者の村外流出が続き、農家における減反政策がこれに追いうちをかけるように過疎化していった。今では人口も四千人足らずとなってきている。そのためか星野村では、全国最高級を誇るお茶の生産はもとより、最近では池の山キャンプ場、星野文化館、お茶の文化館など、県内外から多くの観光客を呼び込む政策が次々と実践に移され、村民挙げての村おこし運動が活発になされてきた。
この星野村を若者達でさらに活性化するには、シイマツタケ、そして今年開発したヤマブシタケを生産しているT産業を星野村に誘致して、若者達に希望に満ちた新しい職場を提供する事である。―Y君は壮大な夢を描いた。
そして平成十年十月に結婚したY君は、翌々年のはじめに子供も生まれるので、これを機会に転職を決意した。
なんとかしてT産業の社長に会ってみたい。しかし、社長もなかなか忙しいらしく、会い出すチャンスは容易に見付からなかった。Y君のねばり強い熱意は、ついに社長と夕食をともにするところまで漕ぎつけた。
初めて会った社長は、想像していたよりも、はるかに優れた発想力と実行力、決断力のあるポリシーマンであった。
「うちの会社はまだ未完成で軌道に乗っていないので、軌道に乗るまでもうしばらく今の国際証券に在職されていてはどうですか」
と、けんそんしておっしゃる。しかしY君は、
「未完成な会社だからこそやりがいがあるのです」
と、自分の「夢」を赤裸々に社長に吐露した。
こうして、平成十二年四月から勤務する予定であったY君は、T産業の都合もあり、半年後の十月から勤務する事になった。その半年間Y君は、慌ただしく過ごした大学時代の四年間、そして国際証券時代の十二年間の日日を、ゆっくりと振り返る充分な時間を持つ事が出来た。この充電期間を与えてくださった社長に心の中で感謝した。
平成十二年五月、Y君はいままでお世話になった人々や、友人知人など約二百名の人々に挨拶状を発送した。
「……三月三十一日をもちまして国際証券株式会社を退職致しました。昭和六十三年入社以来十二年間、皆様のお陰で大過なく楽しく勤務できました。厚くお礼申し上げます。今後は、皆様から学んだ事を糧として、自分の夢に向かって精進して参ります。
―私の地元、福岡県八女郡星野村がキラリと光る星のように―」
Y君を今まであたたかく包んで見守ってきた星野村が、今以上にキラリと光るようになったとき、Y君はもう一つの星となって、キラキラと輝いていることでしょう。
(おわり)
Y君は、昨年7月に地元、星野村で有限会社ロングライフ工房を創業され、現在、ヤマブシタケの販売に力を注がれております。
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