星野村のもう一つの星 その4

 Y君が慶応大学の四年生になると、友人達は就職活動に奔走していったが、Y君は新聞業務のために十分な就職活動は出来なかった。その上、四年生の半ば頃から次第に体調に変調をきたしていった。
 大学へ行くと、「山口、顔色が悪いぞ。身体でも悪いのか」と何人もの友人から心配そうに声を掛けられた。そういえば、配達のためにアパートなどを一気にかけ上がって行けた階段も、最近では手すりに掴まりながらやっと上がって行く。それに息切れもするようになった。しかし、元来が健康に自信があったY君は、「今までの疲れが来ているのだろう」とあまり気にはしていなかった。
 八月中旬になって受けた「日本経済新聞総合販売」にはトップで合格した。「国際証券株式会社」(以下国際証券と呼ぶ)からも内定通知があった。当時日本の経済が、景気の上昇期にあったためか、国際証券から慶応大学出身者への積極的入社勧誘もあり、比較的容易に入社できた時代である。内定通知のあと、この会社での健康診断があった。
 血液検査、心電図検査、血圧測定、肝機能検査、尿検査等々。
 各種検査の後、担当医から呼ばれた。担当医は、Y君の顔色をしげしげと眺めながらこう言った。
 「検査の結果、あなたの血液中のヘモグロビンの量は、一般の健康な同年代の男性の四分の一しかありません。そのような状態であなたはよく立っていられますね。普通の人だったら、立っていられるどころか、とても生きてはいませんよ」
 これを聞いたY君は、初めて自分の健康状態の異常を認識した。それからは、通院ではあったが、この国際証券専属の病院で、貧血の原因を調べてもらった。
 どこかの消化器官から出血はしていないか。造血作用をつかさどっている骨髄は、正常に機能しているか等々。しかし、極度の貧血の原因は見付からなかった。これらの原因究明の検査と並行して、造血剤の注射を毎日打ってもらった。おかげで、Y君の顔色にも赤味がさしはじめ、階段を上がるときの息切れもしなくなった。
 国際証券でこのように手厚く、徹底して検査をし、治療をしてもらい、健康が回復するまで会社が辛抱強くY君を待っていてくれたその温情と思いやりに感動して、Y君はこの会社で働こうと決心した。それに、社会の経済状態をいち早く知るためには、証券マンになることだと、ゼミの先生から言われていたので、この会社に決めた。
 こうして、大学を卒業した年の四月に正式にこの会社に入社した。そのときの入社人員は、総合職で二百十六名。このうち慶応大学出身者は三十六名で。大学別では最も多かった。
 国際証券に入社して一年目の冬、念のため帝京大学病院に三週間入院して、さらに徹底的に精密検査をしてもらったが、結局内臓その他の器官には異常は発見されなかった。要するに、ここ数年の疲労が蓄積して極度の貧血になったのだろうとしか考えられなかった。
 健康を取り戻したY君は、国際証券において、バブルの絶頂と衰退、日本経済の明と暗の両面を、身をもってもろに体験する事になる。