星野村のもう一つの星 その2

 慶応大学にすすむことに決めて東京に出たY君は、ただちに日本経済新聞奨学生となる。新聞業務をきちんとやりさえすれば、慶応大学の入学金から卒業するまでの、四年間の授業料すべてが新聞育英奨学金から支給されるので、学費はまったく自己負担なしでやっていけるからである。
 しかし、住み込みに決まった販売店の二・二五畳の個室は、家賃無料とはいえあまりにもせまかった。机を置けばあとは寝るだけの空間しかない。タコ部屋のようなこの部屋でY君は四年間頑張った。
 このせまい個室で毎日午前三時五十分に起床。まだ明けきらない暗い夜道を自転車をこいで、三百軒の広範な地域を一軒一軒配達していく。配達が終わって店に着くのが午前六時半である。それから朝食を済ませ、午前七時すぎには自由時間になるので、このあと大学の講義に出席する。講義が終わると、もう午後三時半の夕刊配達の時間に間に合うように店に帰らねばならない。夕刊は朝刊より部数が少ないが、それでも午後五時半まではかかる。店に帰っても翌日の折り込み広告の準備などで、夕食時間の午後六時半まで自分の時間はない。雨や雪の日は、新聞が濡れないように専用ナイロン袋に、新聞を一軒ごとに入れておかねばならないので、さらに時間が遅くなる。
 配達だけではない。月末二十日からは「新聞代の集金」もしなければならない。八百八橋といわれるほど橋が多く平坦な大阪にくらべて、東京は八百八坂といわれるほど坂が多い。Y君の担当地区三百軒は、日本政財界トップレベルの人々の高級豪邸が点在する起伏の多い広範な地域である。上がり下がりの急な坂道を、自転車でこいで行くのも容易なことではない。深夜一時、二時でないと集金できない所もある。午前五時ごろでないと集金できない所もある。何度行っても不在の所もある。
 こうして苦労して集金して、月末までに未収金件数が二軒以内にならないと給料は支給されない。しかし、このようなきびしいノルマを達成すれば、翌月五日に、朝夕二食分の食費を差し引いた残りの五万五千円が、前月分の給料として支給される。Y君はこの中から、昼食代、通学費、書籍代、文具代、交際費、その他の雑費を差し引いて、毎月一万円を貯金した。
 常人にとっては、息の詰まるような過酷な新聞業務のノルマではあるが、何事も積極的に、楽天的に、ポジティブ思考でとらえてゆくY君にとっては、どのような困難なアルバイトも、むしろ楽しみが増えるぐらいにしか思っていなかった。だから、新聞業務に慣れてきた大学二年の半ばごろから、新聞業務以外のアルバイトも引き受けていった。
 ビルの害虫駆除を主な事業にしている「赤門薬品株式会社」に時給七百円で手伝いにゆく。ここでワープロを覚え、いつの間にか外勤から内勤になり、一ヵ月二万円から多いときには九万円にもなったことがある。さらに、この会社の紹介で、都立衛生研究所でも一年間働き、毎月五万円の収入を得た。これらはすべて預金した。こうしてY君の大学時代には、自分で働いて得た収入総額から、交際費や学費などすべての必要経費を差し引いても、四年間での残金総額は百五十万円にもなったのである。
 しかし、Y君の大学時代は、ただ単に、大学の講義を聞き、アルバイトをするだけの日々ではなかった。