蔵数のハゼ(櫨)

筑後市大字蔵数
(画)橋本長年
(文)江下 淳
 炎のようなハゼの紅葉に感動をうける。かってハゼの木は八女地方に数多く見られ、江戸末期から昭和初期にかけては全国有数のハゼの実産地であった。ハゼの実からを蝋(ろう)を生産し、その生産高は全国の35%を占めていた。とくに江戸時代には久留米藩の特産物であった。約190年前頃から、農民の積極的な努力と研究により優良品種も作り出され産額が激増したという。当時の蔵数村・今福村から忠見村への八女丘陵周辺はハゼ栽培が盛んであった。いまは時代の波に押されハゼ林は姿を消してしまっている。しかし、蔵数の台地ではハゼ林の名残りが見られる。
 秋の紅葉、冬空のハゼの実ちぎりは八女の風物詩である。天才画家青木繁は母マサヨ(八女市室岡の人)と過ごした故郷を思い「わが国は筑紫の国や白日別 母います国 櫨多き国」と歌い景観をしのんでいる。
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