トップへ戻る
 
     
 
 平成17年4月
 
 

天窓舎だより
桜花咲く四月

椎 窓   猛

 豊後へ抜ける国道442号沿いの日向神ダム湖畔の桜並木が満開の春を迎える。およそ千本余の花咲く日和は艶麗、壮観である。樹齢四十数年、花の風情は幻化の郷に招きいれる。
 思い返せば、あれは平成三年、当時の矢部村長若杉繁喜氏、一念の発起、「教育長さん、後世のために桜の顕彰碑ば、ひとつ建てておこうと思うが、どうじゃろか、のう。」「そりゃ、よかこつです」と、私は碑の構想、碑に刻む文面を草案した。設置場所は千本桜のほぼ終点、村民グラウンドの川沿いときめた。
 まず「ふるさと矢部」に望郷の念一入熱かった亡き劇作家(村出身)栗原一登先生の歌詞一章を上段に刻む。
 名も日向神と 千代かけて
 湖畔の四季に 雲を呼ぶ
 ひろがれ夢よ この村に
 かざせば両手に 陽は赤く
 燃える命の矢部桜
 この歌詞の下段に解説を記すことにした。
 「昭和三十五年、日向神ダム竣工に際し、時の第五代村長轟政次郎氏は、湖畔に千本余に及ぶ桜の植樹を企図されました。以来風雪に耐え、年輪をくわえ、春の訪れと共に爛漫と花ひらく景観はまことに華麗夢幻の境へ誘います。この美事な桜の風光を讃え、先賢の郷土愛にみちた事業を敬仰し、継承の意を新たに祈念するのです。
 平成三年三月三十一日 矢部村」
 矢部桜顕彰碑と題した石碑のホンのかたすみに小さく村長若杉繁喜、碑揮毫中村飛泉、建立工事若杉幸男とのみ書き入れた。今にして考えれば、もっとすぐに眼を引くように大きくネームを刻みこむべきであった。売名行為などと謗られてはと遠慮気味になった傾向がある。(とかくムラには讃仰、感謝、畏敬の念を表現するすべに乏しい風潮がひそむ)こうした碑は風雪、時が過ぎ、流れていけば鎮魂・メモワールとして貴重な村史となるのだ。言葉なしには「花」は語らず散りゆくのみである。
 またこの桜の季節に思いうかぶのは「太平洋と日本海を結ぼう」と夢を抱いた国鉄バス車掌佐藤良二さんの実話物語である。
 佐藤さんは、名古屋から金沢まで、十二年間、四十七歳で亡くなる直前まで、二千本ほどの桜を植えつづけた。この物語は一時期、中学の国語教科書に掲載されていた。それを読み、感動した私は、当時、勤めていた黒木町の木屋小の子どもたちにも読んで聞かせた。
 旧校舎の校庭には、古い卒業生の記念植樹という桜が有名であった。「木屋のサクラがもう咲いとった」と、国道を通る人々が崖上の大きな桜の樹を見あげて語られるのをよく耳にしたものだ。この「桜守」もこの学校の校長の大切な役目だと思った私はこの話をしたあと、皆さんは「桜の学校の子ども」という誇りをと希望した。
 「この地球の上に、天の川のような美しい花の星座をつくりたい。花を見る心が一つになって、人々が仲よく暮らせるように―」と願った佐藤さんの桜の話は、木屋小校庭の桜と思いを通わせながら感銘深い表情で子どもたちは聴きいれてくれた。
 あれから早や二十数年の月日が過ぎる。



戻る