| 村境
昭和の初め頃、少年倶楽部に「村の少年団」という少年小説が連載されていた。A村とB村とC町が登場する。A村からC町に行くにはB村を通らなければならない。
ある年、B村に新しく立派な火の見櫓が建ち、これがB村の人達の自慢の種だった。B村の子供達も同じで、この頃、いつも火の見櫓のところに屯ろして、通りすがりの人に「いいだろう」と自慢するのだった。
そんなある日、A村の少年が数人、連れ立ってC町へ行くためにここを通りかかったが、待ち構えていたB村の少年達につかまった。そして「お前達、ここを通るんなら、火の見櫓にお辞儀をして通れ」という。A村の少年達は腹が立ったが、多勢に無勢、ここはこらえるしかない。軽くお辞儀をして通り過ぎようとしたが、「待て、もっと頭を下げろ」という。
この小説がそのあとどう展開したか覚えてないが、結局、深く頭を下げて、悔しさを我慢して通り過ぎたのだろう。A村とB村は隣り村だから、親戚もあるだろうし、イトコ、ハトコもいるだろう。仲は悪くない筈だが、村対村、集団対集団ということになると事情は変ってくるのである。
私も似たような経験がある。
昭和七年、私は福島小学校の二年生だったが、ある日、クラスの友達五、六人と「今度の日曜日に吉田山(岩戸山)に遊びに行こう」ということになった。
当日、福島町の北の外れを出て長峰村に入った。昔の電車通りである。村に入っていくらもなく「大島川」という川幅一〇メートル位の川の石橋を渡るのだが、その橋に、何があったのか、そこに一〇名程の村の少年達が屯ろしていた。まずい。こういうときは、えてして衝突がおきるものである。私達はそれを避けるために、息を殺して静々と渡っていった。相手は私達をにらみつけている。日頃、町の子供は村の子供を「村ん奴」と呼んで優越感を持っていた。村の子供は「町の奴は生意気だ」という感情を持っていた。この両者が遭遇したのである。夏には村の子供も町の子供もなく、この大島川は水浴びの川なのだが、今日はそうはゆかない。幸い何事もなく渡り終えると、私達は一目散に駈けた。果せるかな、相手から石がバラバラと飛んで来て、道の上を転がった。私達はなおも駈けて、石が届かなくなったとき「もうよかぞ」と胸をなでおろしたのである。
市町村統合でバリアー・フリーが進んでいる今の時代にこんな話を語るのは、少々時代錯誤かもしれないが、ついでだからもう少し続けさせていただく。
時代をさかのぼるほど、他国者を排除しようとする動きはひどかったようである。農村経済の時代は、村は原則的に自給自足の体制であり、閉鎖社会である。そのため「村の現状を平和に保ちたい」「他所者に乱されたくない」という気持が自然発生的に定着していったものと思われる。
私は現在埼玉県の所沢市に住んでいるが、西の方秩父山地に「子の権現」という神仏集合のお寺がある。ここに縦三メートル、横一メートルぐらいの大草鞋が左右両足展示してある。これは昔は村の入口に設置されていて「この村にはこんな大草鞋を履く大男がいるぞ。入って来ると恐いぞ」と威嚇するためのものだったという。
秩父山地にもう一つ。飛鳥時代から奈良時代にかけて渡来した高句麗の人達約二千名を集めて郡をつくった「高麗本郷」という村があり現存しているが、この村の入口には、高さ五メートル、径五十センチメートル程の大きなポールが左右二本建っており、原色塗りで、ポールのてっぺんには「天下大将軍」「地下女将軍」の顔が彫られていて、訪れる人々を威圧する。古代朝鮮も日本と同じだったようである。
少し観点が変るが、同じ川でも、地域によって呼び名の違うところがある。私は広島に住んだことがあるが、中国山脈から流れる川が、上流の西条盆地では「賀茂川」と呼ばれ(酒の賀茂鶴の産地)、中流の瀬野川村では「瀬野川」と言い、瀬戸内海に注ぐところでは「海田川」と呼ぶ。村々が閉鎖社会であった頃の名残りと見てよいだろう。こういう例は全国到るところにあるという。「出世川」といわれるのがそれである。
前置きが長くなったが、私が言いたかったのは、歴史的に深い根を張った村々の個性を尊重しなければならないということである。町村合併は、財政上の問題その他必要あって行なわれることと思われるので、とやかく言うことはないが、村々の歴史・伝統・個性を尊び、もはや村境でいざこざを惹きおこす必要はないが、画一化は避けねばならないというである。分かり切ったことではあるが、それを祈る。大分県の「一村一品運動」の成功は、その辺を認識し、自由競争をさせたところにあると思う。
福島小学校昭和十一年卒業で松尾幹之という方が居られる。福岡中学、第一高等学校、東京大学と進まれ現在名古屋大学の名誉教授である。
農業経済の専門家だが、この方は「農業調査で広く世界を廻ったが、八女郡ほど農産物の豊かなところはない」と言われる。傾聴すべきお言葉である。お茶だけではない、キウイもあればイチゴもある。タケノコもある。農産物だけではない。仏壇、石燈籠等の手工業も健在である。
こうした村々の個性を生かし、良い競争をして、八女の地が百花繚乱と栄えることをひたすら願うのみである。
|