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 平成12年9
 
 

地方からの提言黄櫨の会8月の討議から
いじめ問題(2) ──私たちは何をすべきか──

坂 田 啓 子

 十代の青少年による凶悪な犯罪が社会問題化している。なぜ子どもたちは荒れるのか。大人はそれにどう対処すればよいのか。
 先月に引き続き ”いじめ問題 “を学習した。警察庁の「いじめ」の定義は「単独または複数の特定人に対し、身体に対する物理的攻撃または言動による脅し、嫌がらせ、無視等の心理的圧迫を反復継続して加える」となっている。一対一の場合は、いじめとはいえず ”けんか “のレベルである。
 いじめは学校現象であるという。その学校で、子どもたちの生活の隅々にまで浸透する規範や、高度な管理社会において、子ども関係が変質して来ている。信じ合い、助け合う精神よりも自分を守ることで精一杯の子どもたち。その息苦しさから ”いじめ “が横行している現実を知らねばならない。知識の詰め込みばかりが優先され、情操教育が欠ける学校教育を見直す必要があるような気がする。 ”非行は非行である “子どもたちの心の痛みを感じるセンスが大人たちの側に、いま何よりも問われている。
 今も昔も、荒れる子どもの心は孤独である。人を信用するという人間関係の基礎が、乳幼児期の親子関係の中で養われるということを、再認識したい。家庭は ”巣 “である。巣には守る親がいて ”安心の気 “で満たされているだろうか。両親の愛情が不足すると、うっ憤ばらしの意味で弱い者いじめをするという。
 父親は子育てにどのような姿勢を示しているだろうか。 ”父親不在 “の言葉が、非行問題に必ず浮上して来る現実を直視して、子どもと共にかけがえのない現在を生きて欲しいと思う。
 仏教に「対面同席五百生」という言葉がある。人との出会い、同席の縁は五百回生まれ変わってやっと巡り逢える、という意である。何と尊い存在の人ではないか。いじめること等考えられない。皆で仲良くしたいと思う。
※黄櫨の会九月の学習は、九日・十六日、八女福祉会館です。皆さんお気軽にお出かけ下さい。


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