子育てサークル

 
グリーントマトの子育て日記
我が子を手に掛ける時……

 母親が我が子を殺す事件。なんて母親だ!と、非難の声ばかり耳にするが、そこには必ず、ニュースでは見えない背景がある。もちろん、子どもを殺すことは許されることではない。しかし、それは同じ母親である私も、子育てに疲れ、かんしゃくをまわす我が子を前にしたら衝動的にあり得ないわけではないと感じる。実際に行動するか踏み留まるか……その差はやはり、その感情に行き着くまでの背景の深刻さではないだろうか。
 ――今年3月まで、虐待をする夫と別居して住みなれた故郷で子育てをしていた彼女。田舎は隣近所みんなが知り合い。子ども達に目をかけ声をかけ温かく見守る大人達の目がたくさんあった。少々の発達障害をあまり意識することもなく、その子は他の子ども達と一緒にのびのび元気よく過ごしていた。しかし、検診の時、小学校に上がるなら障害や事情のある子ども達をホローする特別支援学級に入った方がいいと医師が言った。その地域の小学校には特別支援学級はなく、入学すれば他の子ども達と同じ学級で勉強することになる。彼女は急に不安になり、子どもを特別支援学級がある別の小学校に入学させることにした。そして、入学を期に、別居していた夫と再び一緒に暮らすことにした。
 そこから車で40分ほど離れた地へ引っ越し、家族だけの暮らしが始まった。その地域は、次々とマンションが建つ振興地域。当然周りは知らない人ばかり。あまり社交的な性格ではない彼女は、子育ての相談をするような友達関係をつくれないままだった。生徒数もこれまでの学校の10倍以上ある。子どもにとっても新しいお友達ばかり。クラスの友達はできたものの、放課後一緒に公園で遊ぶほどの関係はつくれなかったのかもしれない。
 環境が全く変わり、新しく始まった夫との生活や子どもの学校生活は決して楽なものではなかった。これまで子どもと離れていた夫には子育ての事など当てにはできず、夫婦の関係もなかなかうまくいかない。また、小学校に上がると、うちの子は他の子と違う……その現実をまざまざと見せつけられる。
 「何でじっとできないの。何で言うこときけないの。何とかしなければいけない。この子を何とかするのは自分の責任。全ては自分がやらなければ。これからずっとずーっと自分が……」
 彼女は真面目だった。真面目に思い悩み、もともとの持病や軽いうつ病もあったことから自分を追い込んでいった。表面上は普通に振舞えるものの、彼女自身、疲れていた。心の中は孤独だった――
 これで果たして母親だけを責められるものなのだろうか。ここには社会の問題が見え隠れしている。「今の母親は怖いねえ」ではなく、そうまでさせてしまう今の社会は怖いのだ。奈落の底に落ちてしまう前に、途中、引っ掛かるためのいくつもの網がかけられていなければならない。これらの悲しい事件の背景は、それを示しているように思えてならない。

                              (森)



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